
感情の出かた、気づきかた。
連載準備中のコッペくんの第二話を描いていて感情について気が付いたことがあったので書く。
第二話ではネズミのジロくんが家に飾ってある絵を見飽きた、といってコッペくんに外してもらい、後からそれが外された壁を見て何だか寂しく感じる、というシーンがある。
これを描いていて「感情には現れ方と気がつくタイミング」がある。と思った。
寂しさや、孤独、喪失感、みたいな感情は、例えば家にいつもあったいらないもの(例えばお土産にもらった郷土玩具とか)が、そこにあることが当たり前になっていたけれど、なくなってそれが置いてあった場所が急に広く感じられた時、途端に寂しく感じることがある。
逆に笑いや恥など、急速に沸点に達して引いて行ったり、あるいはじわじわと残り続けるものがある。
感情の現れ方や残り方は、状況やパーソナリティによって違うのだろうと思う。
例えば僕は怒りに関しては、その場では頭に来ないのだけれど、自分でだんだんとその状況が自分の中で客観視されるにつれてムカついてくることが多い。
物理的なもの(ないけど、強くぶたれるとかボールが頭に当たるとか)は、瞬間的にムカついてだんだん引いていく。
マンガを描くときにも、描く感情がどういう現れ方をして、キャラクターがそれにどういう風に気がつくのか、そういうことを丁寧に描くことでリアリティを出せたら、と思った。
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10/7月曜日の日記
週初め、そろそろ連載のコッペくんがまじでやばいので2話目のネームを決めにかかろうと思って、できるまではコルクに行かず、外で作業をしようと思った。
池袋のジュンク堂の中を歩きながらウロウロし、高畑勲の「アニメーション折にふれて」を買った。
ジュンク堂の隣のスタバに入る。お腹が減っていたのでコーヒーと、ハムとチーズの挟まったパンを食べる。
スタバでネームに着手し、描く感情を決めて、ストーリーを決めた。
15時近くまで作業してからコルクへ。
佐渡島さんには「カフェで進むというのは思い込みで、実際は散歩など、カフェの行き帰りで歩いているときに整理されている。」と言われて、なるほど、と思った。カフェでは整理したものをアウトプットしているだけかもしれない。
そのまま、第二話のネームを仕上げ、佐渡島さんに送る。
おおよそいいが、もっと尖らせられるという。
そう思ったので直すことにする。
フェリシモのおふくちゃんのカラー化作業をして、23時頃、帰宅。
カポーティの夜の樹を少し読む。寝る。