
「メンドクサイ」は心を動かす。
「メンドクサイ」がつもっていく。
学生時代も宿題をやったことがほぼない、
メールも溜めてしまうし、LINEもためちゃう。
確定申告だってまだ終わってない(やば)。
で、ホントにヤバい時になって慌ててやる。
このメンドクサさを
ワンルームの部屋に例えると、真ん中に
「ドン!」とでかいソファが置いてある。
ホントは端っこの壁際に動かしたいんだけど、
めんどくさいからそのソファを迂回して
色んな事をしたり、
なんならソファの上に物を置いたりして、
どんどん動かしづらくなっちゃう。
「動かす」っていう「おっきいメンドクサイ」
を避けることで「ちっさいメンドクサイ」が
別のところにも発生して積もり積もっていってる。
で、結局動かさざるを得ない時まで
ほっておいてしまう。
最初からやったら
それのこと考える時間も少ないし、
一回で済んだのにさあ。
それを実感した、マンガの「色」のこと。
2日前から、
このnoteのヘッダー部分(↑)で
輪郭線を使わないで
色だけの絵を描くことに挑戦している。
1つには、4月からの連載が
「フルカラー縦スクロールマンガ」なので
やらざるを得ないのもある。
だけれども、一番の理由は
「色は観る人の気持ちを一瞬で動かす。」
ということから、逃れられなくなってしまった。
色は、人を感動させる。
薄々気が付いていたのに、
「こうしたら絶対よくなる」ということが
わかっても、出来る限りそれをしない方法を探してしまう。
色が人の心に与える影響は大きい。
早春の、これから暑くなるけれど、まだ肌寒さを少し残したぼんやりした太陽。深夜、疲れて帰る時にマンションの窓から見える、人の家のオレンジ色の明かり。夜のバスの車内にいる人たちを外からみる、まるで死者の乗物のような青白い光、
そういう色を見たとき、気持ちはざわざわと、
焼く前のパンの酵母のように動いている。
そういうことを、絵と文で表現したいんだ、と
気が付いた。
メンドクサイ、大事な気持ちにもふたをしてしまう。
「返信、あとでいいや」
「日程見てちゃんと決めなきゃ」
「メール、丁寧に返事したいし」
「やるならちゃんとやりたいし」
「メンドクサイ」と思うことは
どうやら自分にとって大事なことが多い。
やらないことへの「不安」が逆に働いて、
メンドクサイことをすることに、
心理的ハードルを作っている。
自分の心を動かすことをするのは、
メンドクサイのだ。
逆に言えば、自分の心を気持ちよくするためには
メンドクサイことをしないといけないのかもしれない。
自分がメンドクサイことをしていけば、
気持ちよく暮らせる。
そういう仮説をもって
メンドクサイことを意識的にやっていこうと思う。
そう思うと、メンドクサイことが多いなあ。
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2/23の予定。
国分寺のビレッジバンガードに、かつてビレバンで働いていた頃の同僚がいて猫のおふくちゃんを置いてくれるというのでサイン本?やPOPを描きにいく。
ついでにノートをもって外でネームなどをする。
奥さんと外食をするかもしれない。
2/22の日記。
朝、起きて奥さんが一昨日作ったシミットというトルコ風のパンを食べコーヒーを飲む。
猫の日なので、
フェリシモのチャリティの
ツイートの画像を準備したりする。
風が強い。春一番が吹いたらしい。
色で絵を描いてnoteを描く。
クツシタなどの汚れの強い衣類をセスキにつけたりして洗濯をする。繊細な衣類は取り扱いが不安なので奥さんに残してお願いする。
夕方、奥さんがかえってきてコーヒーを飲む。
近所のスーパーで買い物をしにいく。
奥さんが作った餃子とセロリとリンゴのサラダ、胡瓜の酢漬けを食べてビールを半分ずつ飲む。
本を読んで歯を磨いて寝る。